昨2013年9月、私もメンバーの1人になっている西東京市女性史研究会(通称西女研-さいじょけん)で西東京市の女性の聞き書き集・年表「女の絆と底力」を出版した。2012年12月には西女研の前身である西東京市の女性史を編さんする会で「いのちと知恵をつなぎ暮らしから社会を変えた女たち」を刊行しており、今回はその第2弾である。編さんする会は12人のメンバーだったが、今回西女研はメンバー5人でまとめ上げた。
地域女性史とは、学校で習う歴史や自治体史などに取り上げられることは殆どない、それぞれの地域で、日々の暮らしの中で様々な問題や課題を解決しながら生きてきた女性の人生にスポットを当て、彼女たちがまちの歴史に深くかかわってきたことの記録である。聞き書きという形で纏められることが少なくない。
「ここで、ずっと農業をされていて、観光農園にまでされた、その間いろんなことがあったと思うのですが、是非、お話をうかがわせてください」たとえば、農家の娘に生まれ80年余り、今も農業をしている女性には、こんな風にお願いをするところから、聞き書きを始める。
「なーんも人に話すような大したことしてきたわけじゃないんだよ」私も子どものころに聞いた覚えがある多摩言葉で控えめに語り始めるが、「戦争前は、家業の農業を手伝いながら養蚕もしていた。日照り続きで雨乞いをした。戦争中はB29の空爆に逃げ惑い幼い弟妹を連れて疎開をした。終戦後、農地改革があったので、分家してもらって結婚、農業を続け、やがて、自ら他県の果樹農園を見に行って、夫と一緒に観光果樹農園にした。農協の役員をしたり、70歳過ぎて、ヘルパーの資格をとり、ボランテイアもした」など彼女の悲喜こもごもの人生の殆どが語られる。この地域の農業の歴史でもある。
他に家業を切り盛りした商家の主婦、町会議員、共同保育所作り、高校増設運動、反核・平和運動、福祉や消費者問題、環境問題・ゴミ減量などに取り組んだ人、教師や保母さん、女性社員が何千人といる中で定年まで勤めた同期3人のうちの1人など、話を聞いた人は30人以上、それぞれの話を、時系列に整理したり、特にその人らしいこと、地域の歴史として興味深いことなどを、できるだけ話者(話し手)の話し言葉のまま記述するのが聞き書きである。他のメンバーと一緒に議論して推敲を重ね、あいまいなところや聴きたりないことがあると、またご本人に聞きに行くということを繰り返し、今まで知らなかった人と信頼関係ができ親しくなっていく過程を経て、最終的にはご本人の了解を得て、出版原稿となる。
どの話者も共通して語るのは太平洋戦争中の体験である。この地域には中島飛行機関係の軍需工場が多数あったとのことで空襲もひどかったようで、印象に残っている。
私は小学校入学の年から、平成の大合併で田無市と合併して西東京市になった旧保谷市に住んでいる。畑だらけの農村だったところに移住してきて、親たちが様々な活動をして、まちを変貌させてきたのを見てきたが、自分自身は武蔵卒業後定年まで、市外に勤めていたので、今回話を聞いた女性たちのような活動はしてこなかった。この編さん活動に関わって改めて、住んでいる地域の歴史を見つめ直すことになった。
最初の出版は市との協働事業で、助成金が得られたが、今回は全くの自費出版、1200円で有償頒布することになった。趣旨を理解してくれる人にカンパをお願いしたりもしたが、武蔵の先輩をはじめ、多くの友人・知人に協力してもらった。出来上がった本を読んでもらったが、一様に、西東京のことだが、どこの地域にも、女性にも、共通することが沢山あり、興味深かったという感想がもらえ嬉しかった。
これからもゆるゆると活動していくつもりだ。